論文

特集税理士と共謀罪 > 活かそう憲法
税理士界にも「九条の会」できる
「共謀罪」と税理士
千葉会伊藤  

Iなぜいま「共謀罪」か、その背景を探る

明るい未来を感じさせた戦後のひととき
勿論いまに始まったことではありませんが、私のような戦前の記憶をもつ者にとって、最近のわが国の立法の動きは、この国が、明治憲法下の昔に帰るのではないかと、そんな思いを強く感じさせます。

敗戦の翌1946(昭和21)年、私は戦地から生きて帰りました。この日本の国の土を踏んだそのとき何を感じたか。

「この国から軍隊が消えた。私はもう兵隊にとられて、人間が殺しあう戦場に駈りだされることはない。また、この国から特高(戦前、反体制的・反戦的な思想を弾圧した特別高等警察の略称。)はいなくなった。これからは何も恐れることはなく自由にものが言えるようになる。」

これは、ほんとうに長いながい牢獄の暗闇からやっと抜け出たような、心底から晴れ晴れとした安堵感・解放感でした。

近衛が自殺し、東條以下わが国の戦争を指導していた連中が戦犯として逮捕され、私の帰還した村でも村長をはじめ末端のボスまでが公職を追放されていました。昭和天皇が、まだ生きて皇居に安穏と暮らしていることが不思議で不思議でたまらなく思われた一時期です。

中国をはじめアジアに侵略してそこに暮らしていた民衆に償いきれない苦痛と損害を与え、また日本の国民に戦争による大きな犠牲を強いた絶対天皇制国家のこれまでの指導者たちは、もう再び私たち国民の前に姿を見せることはないだろう、と確く信じていました。

私は、食糧難での空腹をかかえながら、まだ原爆の傷跡の生々しい広島の町を、仕事を求めて歩きまわりました。職のない生活に一抹の不安はありましたが、それでも、財閥解体、農地解放、労働組合の復活など、ポツダム宣言に沿った民主化政策が占領当局によって進められていましたから、なにかこの国の未来に明るい希望を感じていました。
また戦争準備を急ぐ今日の支配者
しかし、その期待は甘すぎたようです。つまり、戦後間もなくの冷戦の開始にともない、この国を占領支配していたアメリカの右旋回が始まり、それとともに、彼ら戦前の支配層は追放を解除され、再びわが国の政治・経済や社会の表舞台に呼び戻されたのです。戦犯岸信介の首相としての登場は、その象徴的な出来事でした。

また経済の復興によって資本を蓄積した財界と政治権力とが癒着して政治の腐敗が進む一方で、企業に労働者や中間層が帰属支配される日本独特の企業社会が出現してきます。

ただ今日の支配者が昔とガラリと違ったのは、かつて鬼畜米英と口汚く罵ってきたそのアメリカに媚態を呈して擦り寄り、限りない忠誠心を披瀝していることです。

日米安保のもと、日本の国土、特に沖縄は、朝鮮戦争やベトナムへの侵略戦争などアメリカの対外戦争にとって重要な出撃基地とされてきました。

1991年のソ連邦の崩壊にともない冷戦が終結し、世界の覇者となったアメリカの独善的行動は、やがて9.11の同時多発テロを招きます。アメリカはその報復として、アフガニスタンやイラクに非条理な先制攻撃を仕掛けますが、日本の指導者は、その侵略戦争を支援し、イラクの戦場に自衛隊を派遣するまでに至ります。

そしていま、泥沼化したイラクなどの中東情勢や台頭する中国その他のアジア情勢など世界情勢の変化と軍事技術の進歩を踏まえて、世界に展開するアメリカ軍の再編成が始まろうとしています。

日本においても、「本土の沖縄化」と称される米軍基地の再編に加えて、日本の自衛隊を米軍の傭兵化する計画が着々進行しています。それによる基地住民の蒙る被害のうえに、その再編のための3兆円を超えるともいわれる膨大な費用を嬉々として受入れようとしているのが、いまのこの国の支配者たちです。

またわが国の支配者は、個人の尊重を基本にすえた「教育基本法」を、公共心、愛国心を強調、鼓吹したものに作り変えようとしています。これこそ、忠君愛国の名のもとに青少年を戦場に駆り立てた「教育勅語」の復活現代版であり、この国の教育を戦争準備のためのものに変質させることを狙ったものです。

また日本の財界も、いまや多国籍企業としてグローバルに展開する海外の利権を擁護・拡張するため、この支配者たちの軍事大国化の行動を督励し、またかねてからのアメリカの要求でもある憲法9条、特に戦力不所持・交戦権否認を規定した同条2項の廃棄を急ぐよう強く促しています。

一方国内の状況をみますと、労働法制を始めとする規制緩和による弱肉強食の競争政策、小さな政府を標榜する民営化など市場主義経済の促進、財政健全化を旗印とした年金や医療制度の改悪、さらに大企業や資産家・高額所得者を優遇して一般庶民に過酷な税負担を押し付ける税制改革等、アメリカ仕込みの新自由主義政策が、国民の間に所得や富の格差の拡大をもたらし、貧困層が著しく増大するとともに、自殺や巨悪犯罪が激増し、善良な市民が生きることに不安を感じさせるような社会状況を招来しています。

そのため不安に駆られた国民の間に、街頭に監視カメラを設置するなど治安対策の強化を望む声が大きくなっているほどです。
いま「共謀法」が狙うものはなにか
以上私は、敗戦後から今日に至るこの国の支配者の動向について、私なりの理解による極めて大雑把な見取図を描いてみました。それは、「共謀罪」に限らず、法律というものはすべて、支配者が、そのときの国際・国内情勢を見極めながら、自己の支配のために必要なものを作り、それを自己の支配のために都合よく解釈し、適用していくものであるからです。

いまわが国の支配者は、アメリカの目下の同盟者として、憲法9条2項を廃棄して戦争のできる軍事大国化を目指しています。このことは誰もが認めることですが、「共謀罪」を考えるにあたっても、改めてそのことを再確認する必要があります。

日本の軍事大国化のために、いま支配者が、特に警戒しなければならないと考えているのは、かれらの現在の政策によって生じる貧富の格差や基地公害に対し国民の不満が高まることです。

おそらく今後、平和と人権と真の国民主権を願う国民によって、基地や増税や憲法改悪などに対する反対運動は大きく前進するに違いありません。それこそ支配者のもっとも懸念し恐れるところです。

もともと「共謀法」は、2000年の国際連合総会で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」をわが国が批准するために必要な立法ということが、創設の理由とされています。この国際連合条約の本来の目的は「越境的」な「組織的犯罪集団」、例えば麻薬などを国境を超えて持ち運ぶ犯罪組織の取締りなどにあるのですが、条約は必ずしもそれに限定していません。それをよいことに、「共謀法」は、その対象を国民生活全般にひろげています。この条約を国内の治安対策に利用しようとする支配層の思惑があまりにもミエミエといわなければなりません。
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