論文

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安保改定50年と今日の課題
____________畑田  重夫

  はじめに

今年2010年は旧日米安保条約が改定されて現行の安保条約が発効してから50年目という節目の年にあたっている。しかも、さらに広く、深く考えてみると、今年は「韓国併合」100年という節目の年でもあるし、被爆・戦後65周年、朝鮮戦争勃発60周年、非同盟運動の源流ともいうべきバンドン会議(アジア・アフリカ会議)55周年などなど、幾重にもかさなる節目の年である。安保条約にそくしていえば第10条による「通告終了」可能年になってから数えて40年目という節目の年にもあたっている。

節目には節目にふさわしい対応が求められのである。

  沖縄と安保体制

沖縄・宜野湾市の市街地にある普天間飛行場 これは「世界一危険な基地」といわれている。1995年におきた在沖縄の米海兵隊員による少女暴行事件をきっかけに、沖縄の基地問題が日米間の熱い争点となるなかで、95年11月に日米間に「沖縄における施設と区域に関する特別行動委員会」が設置された。この委員会は略称〜 (SPECIAL ACTION COMMITTEE ON FACILITIES AND AREAS IN OKINAWA)と呼ばれている。

SACO合意をうけて橋本首相(当時)がモンデール駐日米大使と直接交渉し、96年4月、5〜7年以内に普天間基地を返還するという約束をとりつけた。その後、度重なる交渉を経て、普天間基地の代替基地として海兵隊キャンプ・シュワブ沖の海上を埋め立てて航空基地を建設することで合意をみた。

しかし、「辺野古の美しい海を汚すな」「ジュゴンを守れ」などの要求をかかげた名護市民の抵抗闘争は根づよく、結局、今日まで14年間、辺野古の海には杭一本打たせないまま事態が推移した。今年1月24日投開票の名護市長選挙では、新基地建設反対派の稲嶺進候補が勝利した。

鳩山内閣の迷走がつづくなか、去る4月25日には超党派の沖縄県民大会が開かれ、9万人余の結集で反基地の県民の心を内外に強く印象づけた。

普天間基地はアジア太平洋戦争の末期の沖縄戦の時、米軍が本土進攻にそなえて構築したという歴史をもつ在日米軍の基地のなかで最古の基地である。今日、普天間問題に日米安保体制の矛盾の焦点として、日米間のもっともホットな課題として浮上している。普天間問題解決の方向を探求するうえでも、ここで安保問題のそもそも論に言及しておく必要があろう。

  そもそも日米安保とは?

日・独・伊三国同盟vs 連合国という構図でたたかわれた第二次世界大戦が終ったのが1945年8月である。勝利した連合国のなかの米ソ二大国は、戦後、核開発競争をはじめとしていわゆる「冷たい対立」(「冷戦」)をつづけた。

アメリカは対ソ戦略として「封じ込め政策」を画策し推進した。かくて、ソ連を包囲するかのように、NATO(北大西洋条約機構)、CENTO(中央条約機構)、SEATO(東南アジア条約機構)、ANZUS(オーストラリア・ニュージーランド・アメリカの軍事同盟条約)といった軍事ブロック(同盟)がはりめぐらされた。それに対し、ソ連側も、WTO(ワルシャワ条約機構)、中ソ友好同盟援助条約を締結して対抗し、軍事同盟vs 軍事同盟という対決状況がつくり出された。

日本をふくむ北東アジアにおいても、アメリカはNEATO(北東アジア条約機構)という軍事ブロックを作る予定であった。ところが中国や朝鮮は、旧日本帝国主義が戦争中にあまりにも残虐な侵略行為や植民地支配をしたために、日本と手を組んで同一の軍事ブロックを作ることを拒否した。

したがって、アメリカはやむなく米日、米韓、米比というようにこの地域に限り二国間同盟の形式を選択したのである。このようにして、日米安保条約という名の軍事同盟条約が締結されたわけである。

米ソの冷たい対立が熱い対立に転化して、1950年6月に朝鮮戦争が勃発した。朝鮮戦争のさなかにあたる1951年9月、サンフランシスコ講和会議がひらかれ、そこで対日平和条約が締結された。同条約第6条a項但し書きにもとづいて日米安保条約(全5カ条)が締結されたのである。これがいわゆる旧安保条約なのであるが、この条約にもとづいてアメリカは公然と日本に基地をもち、自由に使用する権利を確保した。

日米安保体制下の日本では内灘(石川県)砂川(東京都)相馬が原(群馬県)などなど、各地で基地反対闘争が展開された。アメリカ側は、朝鮮戦争中の警察予備隊(自衛隊の前身)の結成に始まる日本の軍事力や、やはり「朝鮮特需」と称して朝鮮戦争中に復活をしはじめた日本の軍需生産力をアメリカのために利用すると同時に、日本国民の基地反対闘争のエネルギーを吸収するねらいのもとに安保の改定を望むようになり、日本側もアジアでの社会主義的な国づくりを始めつつあった中国や北朝鮮への対策としてアメリカに「抑止力」としての期待をよせるようになり、1957年ごろから日米間で安保改定の気運がもりあがり、日米の外交上の交渉が開始された。

  60年安保闘争

1960年に安保条約が改定されたが、その時、改定阻止をめざして日本の労働者・国民は、戦後日本史上一大画期をなした「60年安保闘争」を展開した。「安保改定阻止国民会議」を結成して、23回に及ぶ全国統一行動を展開した。残念ながら、改定こそ阻止することはできなかったが、アメリカ大統領アイゼンハワーの東京訪問を阻止したし、改定を強行した自民党の岸内閣を退陣に追いこむという成果をあげた。

その後、日米新安保体制のもとで、日韓条約の締結、日本を主要根拠地の一つとして展開されたアメリカによるベトナム侵略戦争、1972年の日米沖縄協定の締結による沖縄の施政権の返還などがおこなわれた。沖縄は、復帰以後も基地問題にかんするかぎり、それ以前と基本的には変化していない。

安保改定にさいしても、また、沖縄の施政権返還にさいしても「核密約」をはじめいくつかの密約が結ばれたことが、鳩山新政権になってようやく次第に暴露されつつある。旧安保には行政協定が、新安保には「在日米軍の地位にかんする協定」(略称「地位協定」が付ずいしていることも忘れてはならない。

  諸悪の根源日米安保

日本国憲法が、9条をもつがゆえに、世界でもっとも徹底した恒久平和主義の憲法として知られている反面、その対極として「世界に異常な日米安保」といわれて久しい。というのは、日本は、この安保条約のもとで、世界一の「基地大国」となっているのである。

アメリカには4軍がある。陸軍、海軍、空軍、海兵隊である。その米4軍が全部基地をおいているのは世界で日本のみである。陸軍が座間、海軍が横須賀、佐世保、空軍が横田、海兵隊が沖縄、岩国というようにである。空母打撃群、海兵遠征群、航空宇宙遠征部隊が存在するのもまた日本だけである。アメリカは全世界で700超の軍事基地をもっているが、よくそのなかの巨大基地としてビッグ5があげられることがある。そのさい、5つのうち4つまでが日本で、ドイツの基地が第4位にランクされているだけである。また一国の首都に米軍の巨大基地があるというのもひとり日本だけである。東京には横田基地があり、都心部(六本木)には米軍のヘリ基地もある。東京湾の入口には横須賀基地があり、首都圏となれば、神奈川には座間や厚木など基地群が存在する。

このような米軍基地の存在の根拠となっているのは現行安保条約の第6条であるが、日本国民を苦しめているのは基地だけではない。

安保条約第2条は「日米経済協力」を規定しているが、それが「貿易の自由化」「日米経済摩擦」「年次改革要望書」の提示などにより、日本の食糧自給率の低下、中小企業の倒産、農村の苦境、派遣労働のひろがりや派遣切りの原因などとなっているのである。

安保3条は、日本に軍事力増強を義務づけているが、それが「軍事費大国」日本として、消費税をふくむ増税として、また、間接的には国民の医療、福祉などを圧迫する要因ともなっている。

アメリカには1948年6月に上院で決議された「バンデンバーグ決議」というものがある。同決議の第3項で、アメリカが締結する軍事同盟条約は、相手国にたいし、「自助及び相互援助」による軍事力増強を義務づけることになっている。したがって、日米安保条約の第3条によって日本にも軍事力増強が義務づけられているわけである。

安保の第4条は「事前協議制」の規定であるが、これは、旧安保条約が日本の対米従属性があまりにも露骨であることから、対等・平等への改定であることをよそおうための規定といわざるをえない。その証拠に1960年の安保改定のときにも、72年の日米沖縄協定(沖縄の施設権返還)のときにも、核密約をふくむ密約が交わされているのである。在日米軍の地位協定をもふくめて検討するならば、米兵犯罪にかんする日本の裁判権放棄にかんする密約をふくむ「密約群」が存在することも明らかになってくるのである。

第4条の事前協議制の規定は、結局「密約」をおおいかくす役割を果たしているにすぎず、第5条はそれによって日米両国軍の共同行動として、今日では「日本の平和と安全」のためどころか、アジア・太平洋のそれをこえて、地球的規模での自衛隊の米軍との共同行動にまでひろがっており、イラクはおろか、ソマリア沖(海賊対処)まで自衛隊が派遣されている。まさに、日米安保こそ、日本国民にとって「諸悪の根源」であるといわなければならない。
いまや、米軍再編の名で、安保条約のとりきめにも違反して、地球的規模で米軍と自衛隊との共同行動が進められているし、核兵器の持ち込みは「日米核密約」によって米軍が勝手におこなえる仕組みになっている。米軍駐留経費も、条約上の義務のないものまで「思いやり予算」と称して日本が負担している。米国防総省の「共同防衛に対する同盟国の貢献」報告(2004年版)によると、日本の米駐留軍経費負担は他の同盟国26カ国を合わせた分を上回っている。

後を絶たない米兵犯罪は日米地位協定で、「公務中」であれば、米軍に第一次裁判権がある。「公務外」でも日本側が最大限、裁判権を放棄する密約があるのである。

こうした米軍基地面積は1980年代以降、自衛隊との共同使用基地をふくめると2倍以上に広がっている。駐留する米兵数も、世界的にはソ連崩壊後に約61万人から約28万人へと半数以下に減っているにもかかわらず、日本は約4万人前後とほとんど変化なしである。

前述の去る4月25日の沖縄の県民大集会の翌26日付の「沖縄タイムス」紙の「視点」はつぎのように書いた。

「太平洋戦争では日本の『捨て石』となり1945年3月に米軍が上陸してから65年間、大規模米軍基地が存在し続ける沖縄。土地は基地による環境汚染にさらされ、空は米軍機の騒音と墜落の危険に。社会は戦場へ赴く兵士の性や心の痛みのはけ口になってきた」「教えてほしい。国土の0.6%の狭い島に在日米軍基地のほとんどが存在し続ける理由を。日米安全保障条約のどこに、基地を置く場所は沖縄でなければならない と明記されているのかを。」このように、4・25の超党派の沖縄県民大集会は、日本の政府と国民に悲痛な叫びにも近い声で問いかけているのである。

まさに、「諸悪の根源」といわれる安保の矛盾は、ついにそのなかでも、もっとも深刻な矛盾の集中点である沖縄で、普天間基地問題をきっかけに一挙に吹きあがった感がある。沖縄は、米軍基地が集中しているというだけでなく、県民所得は全国最低、保育所の待機児童も人口比で全国一多い。非正規労働者の割合も全国一高く、大学進学率も全国平均を大きく下回るという現状である。

  安保廃棄の展望

日米安保体制は、新・旧の「日米ガイドライン」、1993年の「日米安保共同宣言」や周辺事態法、テロ対策特措法、イラク対策特措法などの日本の国内法により事実上再編・強化されてきてはいるが、全10カ条からなる安保条約の条文はいまもそのまま生きている。というのは「60年安保闘争」にみせた日本の労働者・国民の平和と民主主義を求めるエネルギーに恐れをいだいた日米双方の支配層は、安保の明文改定はその後一切口に出すことはできないのである。それは、日本国憲法が事実上空洞化され形骸化されてきているとはいえ、9条の会の数の広がりにみるように、日本国民の世論と運動が明文改憲を許さないでいるのと同じ関係にあるといえよう。日米支配層にとっては、安保の明文改定は一種のトラウマになっているのである。

したがって、われわれ日本国民としては、安保条約第10条の「固定期限」および「通告終了」にかんする規定を活用しない手はない。

日本がこれまで締結した同盟条約のなかでも50年、すなわち半世紀間も続いているという日米安保条約というのは、そのこと自体がまた異常といわざるをえない。ちなみに、日英同盟(1902〜 23年)の継続期間は21年であり、日独伊三国同盟(1940〜 45年)は5年間であった。

しかも、眼を海外に転ずれば、軍事同盟のほとんどは消滅か、機能麻痺か、分裂の状態と化しつつあり、いまや世界の大勢は非同盟、地域共同体づくり、非核兵器地帯条約のひろがりが主流になりつつあるといっても過言ではない状態である。そのうえ、’09年4月のオバマ米大統領のプラハ演説をきかっけに、核兵器廃絶という人類共通の悲願としての課題も、世界各国ならびに諸国民にとっての現実的な課題となりつつある。

その意味でも、安保条約第10条の規定を活用することを視野にいれて、われわれ日本国民が名実ともに国民主体の政府を実現しさえするならば、その政府がアメリカにたいして安保終了の意思を通告することによって一年後に安保条約を廃棄することが可能なのである。それについては、日米間の交渉も、合意も不要である。通告だけで足りるのである。

いうまでもないことであるが、安保条約を廃棄したからといっても、アメリカと絶交したり対立することを意図するのではなく、真に対等・平等の立場にたってアメリカと平和友好条約を結ぶことを考えるべきなのである。

安保を廃棄し、核も基地もない平和な日本 を実現する このことを言いかえれば、日本国憲法の原理・原則に忠実な日本、憲法が輝く日本の実現にほかならないのである。

  むすびにかえて

今から50年前、安保条約を改定したのは自民党政権であった。新安保体制のもと、アメリカに協力して安保の再編・強化にいとめてきたのも自民党政権であった。日本の主権者国民は、昨年(’09年)8月30日投開票の総選挙において、自民党に手きびしい審判をくだし、長期にわたって座りつづけた第一党の地位から引きづりおろした。

代って民主党中心の鳩山新政権となった。同政権は、選挙の時のマニフェストにはアメリカとの自主・対等・平等の関係を、と主張していたにもかかわらず、普天間基地問題に対する姿勢にもみられるように、関係住民の意思よりもアメリカの立場をより尊重するという対米従属の態度をとりつづけている。安保改定50年という節目にあたって、日米同盟のいっそうの「深化」に努めるというのであるから、この政権による安保の「通告終了」は期待すべくもない。

普天間基地は沖縄県民の民意どおり、無条件の即時撤去以外にはありえない。その彼方にあるのは、安保条約の廃棄あるのみである。いよいよ、日本の民意と民主主義の成熟度が試練のときを迎えたというべきであろう。

(はただしげお・国際政治学)

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