時潮

税率アップは・・・
税経新人会全国協議会研究部長松田周平
年明け早々、私は耳を疑った。
安倍首相が参議院選挙では憲法改正を争点に闘うと述べたことにである。
小泉前首相が消費税税率引き上げについて、私の任期中にはしない、次の総理は大変だとの趣旨のコメントの通り、安倍首相は消費税論議を参議院選挙後に延ばした。当然、憲法改正についても争点にしてこないのではと思っていた矢先であったからだ。

ところが1月17日、自民党定期党大会で同首相は「国の骨格、国のかたちをなすのが憲法だ。立党の精神に立ち返り、憲法改正に取り組みたい」と述べ、4月のいっせい地方選、7月の参院選に向け、「正攻法で臨み、目指すべき方向を堂々と論じ、その実績を国民にわかりやすく示すことで、必ず勝ち抜くことができる」と強調した。消費税はそらして憲法は争点に、この違いは何か?
この疑問への回答は歴史にあった。消費税をなくす会が発行しているパンフレットによると、『政治を大きく変えてきた、消費税への国民の怒り』との表題の下、79年大平内閣、「一般消費税」を計画しましたが、国民的な反対運動のなか、総選挙で自民党が大敗北し、計画断念に。86年中曽根内閣、同時選挙で中曽根内閣は、「この顔がウソつく顔に見えますか?大型間接税は導入しない」と。多数議席を得たとたん「売上税」を持ち出し、「ひどいうそつきだ」との怒りで列島騒然となり、翌87年の地方選挙で自民党が大敗し、廃案に。

89年竹下内閣、「売上税」から「消費税」に名を変え、89年4月から消費税を強行実施。だましうち的なやり方と「毎日のくらしに消費税は重い」の怒りの声で、6月の参議院選挙で自民党は歴史的大敗北に。94年細川内閣、7%の「国民福祉税」構想の発表で、支持率が下がり、退陣に。98年橋本内閣、96年の総選挙で当選した議員の7割が「消費税増税を凍結・見直し・中止」と公約。約束を破って97年4月に5%にアップ。結果、深刻な不況を招き、夏の参議院選挙で自民党が大敗北し、内閣退陣に。

又、同会のニュースに寄稿した湖東京至会員の『消費税の導入・税率引き上げをした政権は崩壊する』という小論には、先の歴史の他、5%への引き上げを決めた社民党=村山内閣も98年の総選挙で社民党(当時・社会党)が15議席に激減したこと、05年の総選挙で年金財源に3%の税率引き上げをマニフェストに書いた民主党が、177から113議席に激減した歴史にも触れている。今日、同党は引き上げを削除している。
このように見ると、憲法は争点にしても消費税は争点に出来ない事情が呑み込める。政権党の歴史に学んだ方針である。ある意味、私たちが思っている以上にジレンマに陥っているのではないだろうか。巷では税率引き上げは時間の問題のような空気が立ち込めている。納税に苦しむクライアントも、「いつから上がるんですか」と聞いてくる。けれど決して決まったことではない。06年日経定例電話世論調査によると、2・6・12月の3回の平均で、引き上げについて『財政再建・年金財源ならやむを得ない』が46.6%、『税率維持・廃止』が42.6%となっている(ちなみに3回とも廃止は11%)。

消費税=大型間接税の導入は財政悪化する以前の60年代(或いはそれ以前)から企図されてきた。そして言わば創られた財政悪化とその中での福祉財源を理由に導入された。しかし現在税率は5%、実施されずに廃案となった消費税の前身である売上税の税率と今だ同じである。この背景には、大型間接税が持つ逆進性という根本矛盾、そして税経新人会全国協議会も加盟する消費税廃止各界連絡会・前出の消費税をなくす会等の地道ではあるが粘り強い運動がある。もし引き上げが行われるならば、転嫁出来ない事業者は消費税倒産の憂き目に遭う(既に始まっている)ことを一番よく知っている税理士であればこそ、声をあげていきたい。

(まつだ・しゅうへい)


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