時潮

憲法違反、政教分離は どこへ
税経新人会全国協議会理事長平石共子
今年の8月15日は61回目の終戦記念日であり、私たちにとって二度と戦争を起こしてはならないという平和への願いを新たにする大切な1日であったはずだ。ところが朝から靖国神社の映像がテレビを独占した。朝7時40分、小泉首相は公用車で靖国神社に到着し、モーニング姿で本殿にのぼり、一礼する形式で参拝したと報じられた。

「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳し、献花料はあらかじめ私費で3万円納めていたという。本殿へ歩く様がながながと映し出され、「小泉さんは反対されればされるほど意地になる人なんですよ」とコメンテータ―はいい、16日の日経新聞社説は、「ひとりよがりの小泉首相靖国参拝」と題し、首相の参拝はテレビカメラの前で「どうだ、中国の言いなりにならないぞ」と大見えをきる政治ショーのようにも見える、と評した。

マスコミのあおりか、小泉劇場見たさなのか、終戦記念日の参拝者は昨年(20万5千人)を大きく上回り25万8千人が訪れたとのこと。ネット上のasahi.comでは、『「なぜ首相参拝がいけない?」靖国に若者たち』の見出しで、カメラ付携帯電話やデジタルカメラを手にした若者たちが首相目当てに集合、靖国問題を巡る度重なる報道が、若者と神社を結びつけた面もあると無責任なことを言っている。果たしてマスコミは若者たちに靖国神社とはどういうところで、日本の侵略戦争を「自存自衛」「アジア解放」の「正しい戦争」だったと宣伝するセンターであることを伝えているのか。

2年ほど前に、神社敷地内にある遊就館(戦史博物館あるいは軍事教育施設とも)を訪れたとき、信じられないことではあるが、まだあの戦争は終わっていないのではないかという錯覚を覚え、強い衝撃を受けた。ゼロ戦をはじめとする戦闘機、大砲、戦車、人間魚雷などの陳列と数々の戦歴の紹介、○○作戦の成功、戦意高揚の軍歌・・・。そこからは戦争への深い悲しみや反省は伝わってこなかった。2002年に新遊就館にリニューアルしたというから、今の靖国神社の歴史観そのものといっていいだろう。

マスコミの論調は、中国、韓国はじめアジア諸国から反発されていることへの批判、A級戦犯を合祀している靖国参拝への批判で、外交上の問題を重要視していた。いったい、憲法の政教分離原則に違反するという指摘はどこへ行ったのだろうか。

靖国神社は1945年12月、GHQの神道指令通達により、翌1946年一宗教法人となった。憲法20条は戦前の国家主義・軍国主義の支柱として、神社神道を国民に強制し、戦争に駆り立てたことへの反省から作られた。信教の自由を確実なものとするために「政教分離」を明確にしたのだ。憲法20条1項の後半部分と3項が「政教分離」の制度を定めている部分である。

そう考えると、小泉首相は首相就任前からの公約を果たすために、公用車を使い、内閣総理大臣小泉純一郎と記帳している。これを私的行為というのはあまりにも無理がある。

「伊藤塾」塾長の伊藤真さんは、その著書「高校生からわかる 日本国憲法の論点」の中で靖国問題に触れ、「必ずしも決着がついたとはいえない状態ですが、憲法学の一般的な考え方からすれば、公務員である内閣総理大臣が、靖国神社への公式参拝という形で宗教に関わるのは、憲法違反になるといってよいだろうと思います」と明言している。

この間の小泉首相の参拝をめぐる訴訟では高裁、最高裁を入れて14の判決、2つの決定が出されているが、靖国参拝を合憲とする判決は出ていない。  忘れてならないのは、憲法99条である。天皇をはじめ公務員は憲法を守る義務がある。そして国民には、公務員に憲法を守らせる責任があるということ。憲法に掲げる権利を守るためには、国家に歯止めをかけ続ける努力を惜しんではならない。

(ひらいし・きょうこ)
憲法20条
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 

憲法99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


▲上に戻る