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時潮

時潮
翳りゆく日々 We must start today(今日始めないと)
副理事長 相良 博史
台風15号による千葉県南部を中心とする大規模停電が続く9月11日、第4次安倍再改造内閣が発足した。記者会見では、社会保障改革に関して「関係閣僚の総力をあげて全世代が安心できる社会保障制度を大胆に構想する」(日本経済新聞2019.9.12)と述べている。今このような発言が行われるということは、これまでは「全世代が安心できる社会保障制度」は「構想」されていなかったのであろうか。日本経済新聞は、今回の社会保障改革について「「全世代型社会保障」の実現を目指す」ことであり、そのためには「働く高齢者の増加など支え手拡大にとどまらず、給付と負担の見直しにどこまで切り込めるかが焦点だ」と解説している。意図するところは、徴収は取れるところから幅広く、給付は抑えられるところは幅広く抑える、の実現を目指すということであろう。
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公的年金の受給開始年齢の上限が75歳まで「選べる」ようなしくみがつくられるようである。受給開始年齢の議論においては「元気な高齢者は働けばより多くの年金を受給できるようになる」という甘言を聞くが、「馬の鼻先に人参をぶら下げる」という名言を想起させる。

介護事業などを手掛ける会社が、自社が運営するサービス付き高齢者向け住宅や住宅型有料老人ホーム2施設に入居者する高齢者に「仕事」で収入を得られる仕組み作りに乗り出したとの記事が新聞に掲載された( 日本経済新聞2019.9.5)。この記事では、84歳の女性入居者の「難しいと思ったけど、だいぶん慣れてきた」との声が紹介され、記者は「高齢者施設で「仕事」を提供する試みは、主に生きがいづくりの観点から行われている」と述べている。良いこと尽くめの記事であるが、希望より不安を感じる。

内閣府の平成30年版子供・若者白書(調査の対象は、16歳から29歳までの男女)によると「仕事をする目的(2つまで回答)」の第1位は「収入を得るため」で、率は84.6%と圧倒的である。第2位は「仕事を通して達成感や生きがいを得るため」(15.8%)で、1位に遙かに及ばない。若い人たちでもこのような考えなのに、高齢者が、今さら「仕事」を「生きがいづくり」のために行うとは考えられない。その目的は収入を得るためであろう。仕事をしないと生活ができない。施設に入ってもやむにやまれず働かざるを得ない。これがこの国の今の現実である。

一方、竃村総合研究所の「News Release」(2018.12.18)は、日本の富裕層・超富裕層(純金融資産保有額が1億円以上)の世帯数が増加しており、2000年以降の最多になったと伝えている。全体のたった2.3%の世帯が、全体の19.4%の純金融資産を保有している。増加の原因について「景気拡大と株価上昇によって富裕層および超富裕層の保有資産が拡大したことに加え、金融資産を運用(投資)している準富裕層の一部が富裕層に移行したためと考えられます。また、富裕層・超富裕層である親や祖父母からの相続や、生前贈与を受けて富裕層・超富裕層になった世帯、および自ら起業して新規株式公開(IPO)や事業売却により資産規模を拡大した世帯も増えていると考えられます」と述べている。

これらの現実は、最早、この国において、再分配が適切に行われていないことを如実に示している。人々は、この事実に薄々気付いているのであろう。解決に動かずに、その不安や不満を自国礼賛や他国に対する憎悪で憂さ晴らしをしているのであれば、暗澹たる未来が待ち受けるのみである。
ラディカルな「改革」ではなく着実な対処が必要である。

個人所得税において金融資産に適切な課税を行うこと、逆進的である消費税について、まずは税率の引き下げを行うこと、が喫緊において必要である。また、食料品などの生活必需品の消費税はゼロ税率にすべきである。これにより、国は、「国が人々の生活を守る」というメッセージを発することができ、人々は安心感を持つことができる。今必要なのは憎悪ではなく根拠のある安心である。
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日本がバブル景気に突入する5年前の1981 年、田中康夫氏の小説「なんとなく、クリスタル」(渇ヘ出書房新社)が出版された。なんとなく、「クリスタル」という言葉だけが一人歩きした感があるが、本文に続く「ディオリッシモ」で終わる442個もの注(「NOTES」)の後に、人口問題審議会の「出生力動向に関する特別委員会報告」と「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書)」がひっそりと掲載されている。そこには、合計特殊出生率、六十五歳以上の老年人口比率(予想含む)、厚生年金の保険料(予想含む)が記されているが、現状は、当時の認識を遙かに超えた悲惨なものである。

田中氏はこの小説について「頭の空っぽなマネキン人形がブランド物をいっぱいさげて青山通りを歩いているような、文学以前の内容だと反発されたものです」(好書好日 朝日新聞社 2018.5.30)と述べている。しかしながら、悲惨な現状を見れば、田中氏を批判した人こそが、何ら対応もせず現状を傍観してきた「頭の空っぽな」人ではなかったのか。

今は輝いていても、これからは翳(かげ)りゆく日々を迎えることになる、という筆者のメッセージを、その当時、小説にちりばめられた「ブランド」に惑うことなく、正しく理解できた読者がはたして何人いたのであろうか?

「議会前スト」で注目されたスウェーデンのグレタ・トゥンベリ氏はイギリスの国会議事堂におけるスピーチでこう述べている。「事態を修復できるが、チャンスは長く続かない。今日始めないと。言い訳はもういい」(日本経済新聞2019.7.23 Opinion、Deep Insight)。彼女は、気候危機についてスピーチをしたのであるが、それだけにとどまる言葉ではないことは言うまでもない。

(さがら・ひろし:神戸会)

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